違いを感じるには

違いが大きければ認識するは簡単です。
違いが小さければ、感受性を高めて微妙な違いを感じなければいけません。

感受性を磨き高めるにはどうすればいいでしょう?
努力をすれば高まると思いますか?
ここに一つの落とし穴があります。
感受性を高めるには、”努力を減らさなければいけません。”

フェルデンクライスが語った逸話があります。
ハインリッヒ・ジャコビーであった時の事です。
音楽的素養のあまりないフェルデンクライスが
「ピアノを弾いてみませんか?」
と言われます。
ピアノなんて弾けないと辞退しますが、ぜひにと勧められます。
そこで、思いついてメロディーを弾いてみます。
こちらをガーン、あちらをガンガン、とむやみやたらにピアノと格闘します。
いくらやってもどうにもならず、馬鹿馬鹿しくなってきた頃にジャコビーが言います。
「ピアノをどうするつもりですか?壊すつもりですか?なぜそんなにガンガンとやるのです?」
鍵盤をガンガンと叩いて騒音を撒き散らしていたフェルデンクライスに対してジャコビーはさらにいいます。
「あなたが書いた本には、ウェーバー・フェフィナーの法則で刺激と刺激に対する反応は対数の法則に従う。そうすると大きな音の違いを聴き分けるには大きな違いをつけなくてはいけませんね。」
フェルデンクライスは、自分の著書に
「感受性を求めるならば、払う努力または初めの刺激を減少させなければいけない。そうしなければ小さな違いが分からない」
と書いた事を思い出します。
再びピアノに向き合ったフェルデンクライスは、出来るだけ小さい音を出すようにして弾き始めます。
するとメロディーを探し当て、弾けるようになったそうです。

違いを感じられるようになったわけです。
例えば、
昼間、日が差している時に部屋の電気をつけても気づきません。
逆に夜に電気をつけるととても明るく感じます。
車がたくさん走っている通りで話をしていると声が聞きづらいと思いますが、
車が少ない閑静な住宅街ではむしろ声が響きます。
重い荷物を持っている時に荷物の上に虫が止まって重さを感じませんが、
薄い紙を持っている時にその上に虫が止まると重さを感じると思います。

つまり、
頑張って、苦痛に耐えて、緊張して学ぶよりも
緊張せず、力を抜いて、心地よく学ぶ方がより小さな違いを感じます。
それにより、自分の能力を向上させてくれます。

感じづらい時、分かりづらい時はより小さく、力を抜いて、ゆっくり動いてみましょう。
そうすると、今まで気づかなかった”違い”を感じるようになるかもしれません。

「からだの力みを抜いて、感覚を高める」

それだ大事です。

bechistein02