フェルデンクライスメソッド

【フェルデンクライス・メソッドとは?】

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フェルデンクライス・メソッドは、
物理学博士であるモーシェ・フェルデンクライスが体系化した、とてもユニークで洗練された学習システムです。
1940年代に体系化されたこのメソッドは、心身の調和、機能の改善を促す革新的なソマティックエデュケーションとして、イスラエル、欧州、北米など世界的に広まっていきました。

フェルデンクライス・メソッドのレッスンには、
ATM(Awareness through Movement 動きを通しての気づき)というグループレッスンと、
FI(Functional Integration 機能の統合)という個人レッスンの2つの形式があります。
どちらのアプローチも、動きの探求により体の気づきを高め、脳神経システムに働きかけ、自己の再組織化や自己調整力を促していきます。

人間の可能性を目覚めさせ、
体や心、環境との調和、可動域の向上や柔軟性の促進、慢性的な痛みや緊張からの解放、健康増進、スポーツの技能やパフォーマンスの向上、そしてなによりも日常生活をより快適にしていくことを助けます。

 

【ATMレッスンとは?】

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ATM:Awareness through Movement 動きを通しての気づき

ATMレッスンは、プラクティショナーが言葉のみの指示でレッスンを進めて行きます。
基本的に動作のお手本は示しません。
そのためクライアントは、指示のみを頼りに自ら動いていきます。
その中で、より楽に動かすにはどうすればよいのか?
よりスムーズに動かすにはどうすればよいのか?
などと動きを通して、よりよい動きを学んでいきます。
痛みが出たり、違和感があったりとやり難かったりする動きもありますが、
それはなぜなのか?
どうしてそうなるのか?
どうすれば楽になるのか?
プラクティショナーの声と自分の体の声をを頼りに楽に快適に動かす方法を探していきます。

このレッスンのよい所は、自分で動きを探していくという事です。
一般的なグループレッスンでは、先生が見本を示し、それを真似ながら動きを学んでいきます。
難しい動きや出来ない動きがあっても頑張って真似しようと努力するため、体に負担がきます。
運が悪ければ体を痛めてしまうこともあります。
そうならないように初心者コース、上級者コースとレッスン自体を分けたりもします。

ATMレッスンではこのような事がありません。
レッスンでは、それぞれが自分の体と向き合いながら進めて行く為、
老若男女の区別なく誰でも同じレッスンを受けられます。

そして誰でもその効果を感じる事が出来るのです。
 

 

【FIレッスンとは?】

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FI:Functional Integration 機能の統合

FIレッスンは、プラクティショナーと1対1で進めていく個人レッスンです。
要望やニーズに合わせて、最適な体勢を作り、オーダーメードで進めていきます。
体を直接触り、ゆっくりと繊細に時にはダイナミックに動かしていくことで、体への気づきを促し、重力や空間との関連性が高まっていきます。
体の感覚や知覚が高まる、自己組織化や自己調整が促されるなど、体が今までよりも良い方向へと変わっていくためのお手伝いをいたします。

事故や病気のあとの機能回復、障害や麻痺などの機能改善、スポーツパフォーマンスの向上などに有効です。

一般的な手技とは違い、筋肉をぐいぐい押したり、揉みほぐしたり、ストレッチしたりするのではなく、優しく丁寧に触れ、動かしていくだけなので、体を触られるのはくすぐったいという方や強い刺激が苦手な方でも受けられます。
繊細なアプローチで体が変化していく感覚を味わってみてください。
 

 

【創始者 モーシェ・フェルデンクライス博士とは?】

moshe3モーシェ・フェルデンクライス(1904~1984)

 モーシェ・フェルデンクライスは、1904年5月6日に旧ロシア領(現在のウクライナ共和国領)のスラヴータという街で生まれました。
その後、家族はバラノヴィッチ(現在のベラルーシ領)に引っ越し第一次世界大戦の戦火の中高校時代を過ごします。
(高校でヘブライ語を学んだそうです)
1918年にパレスチナ(現イスラエル)へと旅立ちます。

 1930年にパリへ行き、工業大学へ入学し1933年に卒業。機械工学、電気工学を学びました。
同じ年、柔道の創始者、嘉納治五郎と出会い親交を深めます。彼は、ヨーロッパで最初の黒帯取得者で、パリの柔道連盟結成に尽力します。
 また、卒業後はソルボンヌ大学で勉強をしながら、ラジウム研究所のフレデリック・ジュリオキュリー博士(キュリー夫人の娘婿)の元で、研究助手として働き始めます。
第二次世界対戦が激化し、ドイツ軍がフランスに侵攻した1940年。イギリスに脱出しました。英国海軍の科学士官として、スコットランドの対潜水艦調査などを行います。フランスから脱出時、潜水艦のデッキの上で再発した膝のケガを治すために自分自身の体と向き合い、 医者には手術しても治る確率は50%以下だと言われていてたケガを乗り越えました。
 そして、その新しいアイディアを一連の講義や実験的な授業として身近な人に教え始めたそうです。
その後、1946年に海軍を離れロンドンに移り、民間企業でコンサルタントなどの仕事をします。
ロンドン在住時に最初の著書を出版。また、柔道の書籍なども出版しました。
ロンドン滞在の期間には、
エニアグラムの先駆者 ジョージ・グルジェス、
アレクサンダー・テクニークの創始者 FM・アレクサンダー、
ベイツ・メソッドの創始者 ウィリアム・ベイツ
などと交流を持ちその手法などを学んだそうです。

 1951年からイスラエル軍のエレキトロニクス部門を指導するためにイスラエルに戻り、1954年頃から首都テルアビブに定住し、フェルデンクライス・メソッドだけで生計を立てるようになります。
アレクサンダー・ヤナイ通りのスタジオでグループレッスンのクラス、母親と兄が住んでいたアパートで個人レッスンの提供をはじました。
イスラエル初代首相のデビット・ベングリオンにもレッスンを提供し始めたそうです。

 1950年後半になると、フェルデンクライスはヨーロッパやアメリカでフェルデンクライス・メソッドを発表し、著書も出版します。1968年には、個人レッスンをする専用のスタジオを作ります。
 1969年(~1971年)には、最初のフェルデンクライス・メソッドのティーチャートレーニングを開催します。最初の受講者は12名だったそうです。

1975年(~1978年)には、サンフランシスコで65名に
1980年には、アムハーストで235名の生徒の教育を行いましたが、
1981年秋に病気となりフェルデンクライスは公に教えるのをやめます。
そして、1984年7月1日に亡くなりました。

<著書>
Body and Mature Behavior(1949)
Awareness Through Movement」(1972) :邦訳「フェルデンクライス身体訓練法
The Case of Nora 」(1977) :邦訳「脳の迷路の冒険」
Elusive Obvious」(1981)
The Master Moves」(1984) :邦訳「心をひらく体のレッスン
The Potent Self」(1985)