本当に必要な学習は記憶することではない?

大抵の人は、学校で習う事を憶える事が学習だと一番に思いつくでしょう。
しかし、フェルデンクライスはそういうことはあまり重要な学習ではないと述べました。

では、どういう学習が必要なのでしょう?

あなたは、何か困難にぶつかった時どうするでしょうか?
歯をくいしばって頑張りますか?諦めますか?逃げ出してしまうかもしれません。
賢明な方は、何か別の方法を考えるでしょう。
それでダメならまた別の方法、それでもダメなら3つ目の方法と考えていくでしょう。
いろいろな方法を選択し試していくと思います。
その選択肢を増やしていくこと。
それが、いい学習だとフェルデンクライスは言っています。

”ありがとう”という言葉を習ったとします。
ただ、ありがとうと言う場合、感情を込めて言う方法、優しく言う方法、または怒りながら言う方法など言い方を変えると言われた人の受け取り方が変わります。
話す、書く、歌う、少なくとも2つ以上のやり方が出来なければ選択の余地はありません。

算数で「5+5=10」と一生懸命反復練習で暗記させたら、幼い子どもは「4+6=9」と答えるかもしれません。理由を聞けば、「10じゃないよ。だって10は5+5だもん」と答えます。
10はもう5+5に占領されてしまっているのです。
私達は、10という答えをいろいろな方法で学びます。選択肢を広げているのです。

また、フェルデンクライスはこんな話もしてくれました。
昔、列車に乗っている時にイエメン人の青年が前の席に乗っていたそうです。
青年は本を読んでいましたが、本は逆さまです。
本を読んでいないのかと思ったが、どうも普通に読み進めているらしい。
どうにも気になって、青年に聞いたそうです。
「君は本を読んでいるみたいだけども、なぜ本を逆さまにしているのですか?」
青年は、不思議がり
「逆さまとはどういうことでしょう?どちらを上にするのが正しいのでしょう?」
と言われたそうです。
青年の話を聞いてみると、イエメンはとても貧しい国で勉強をするにも本がなく1冊の本の周りに集まって本を読むのだそうです。時々場所を変わり、いろいろな方向から読む事が出来るようになるのです。
そこで、フェルデンクライスは学びました。
自分が1つの選択肢しか持っていなかったということを

「本当に必要な学習は、すでに出来る事を別の方法で出来るようになることです。」
やり方が多くなれば選択肢の自由度は大きくなります。
選択が自由になればなるほどより人間らしくなるのです。

人間以外の動物は、生まれてすぐに歩く事が出来ますが、どの動物も同じようにしか歩けません。それは学習して取得したものではなく種として伝わってきた力なので変える事は出来ないのです。
しかし、人間は、学習する力があります。
他の動物とは違い変われる可能性を秘めているのです。
感性豊かに、さらなる高みへ変わっていく、
その可能性を引き出し高めていくためにもより良い学習していくというのは人間だけの特権なのかもしれません。

フェルデンクライス・メソッドは、とてもよい学習のためのメソッドの1つです。

 ehon01